水玉物語#049 サーカスシティ
私はきれいなものが好き きらきらひかるきれいなもの 輝いているもの 美しいもの それを手に入れたいの
ルビィは何を隠そう、宝石泥棒です。
泥棒といっても、誰かのお宝を狙う泥棒ではありません。
ルビィが狙うのは、ルビィの一族の遠い先祖が残した「赤いリスト」の中にある隠されたお宝です。
「赤いリスト」は一族のその中でも選ばれたものに伝わる秘密文書で、ルビィはたくさんの姉妹や従兄弟たちの中でたった一人、おばあさまから秘密を打ち明けられました。
それは16歳の夏。おばあさまのお誕生日パーティでのこと。
その日から、ルビィはその赤いリストの中の隠されたお宝を狙う、宝石泥棒になったのです。
赤いリストはとても長いリストだったけれど、歴代の真っ赤な泥棒さんたちに見つけ出され、残りは数えるほどでした。
ルビィはカフェで朝のコーヒーを飲みながらいつも思います。 なんて楽しいのかしら、通りを通る人たちは誰も私が昨夜、隠された宝石を巡って、ビルからビルへ夜の中を駆け回ったなんて思いもしない。夜遊びして寝不足の頭にコーヒーを注ぎこむただのお嬢さんだと思っているでしょう。 ところが違うのよ。 私は。 新聞を広げながら、ルビィは秘密を楽しみます。 秘密があるだけで世界は瞬く間に物語の中になるのです。
「昨夜は君にまんまとしてやられたな」 いつのまにか後ろの席に座って、声をかけてきた帽子の男は、同じように赤いリストを受け継いだ、ルビィのライバルであるサファイアです。 「いつものことよ」 ルビィは記事に目を落としたままそっけなく言いました。 二人は背中合わせに椅子に座り、新聞を広げ、他人の素振りをしています。昨夜も同じ宝石を巡って争ったばかりです。これまでの勝敗は60勝60敗。昨夜はルビィの勝ちでした。 「でも最後のお宝は君に譲るわけにはいかないよ」
16歳の夏、おばあさまに内緒で呼び出されたのはルビィとその日初めて会った、遠い親戚の2つ年上の背の高い男の子、サファイヤでした。
「あなたたちにこれを授けます。あなたたちは宝をめぐって切磋琢磨して美しく強くおなりなさい、でも誰にも言ってはだめ。知っているのは二人だけ。そして最後の宝を手に入れたものには特別なものを授けます」
「特別なものってなあに?おばあさま」
ルビィは聞いたけど、おばあさまは微笑むだけ、
「それは手に入れてからのお楽しみ」と人差し指を唇に当てました。
あれからもう何年も経ちました。赤いリストの宝石も残り少なくなりました。少年だったサファイヤは今では口の減らない食えない男になり、少女だったルビィも美しく考えの読めない女になりました。そして奪い合い、騙し合い、出し抜きあいながら、二人は長い間秘密を深めてきました。
いよいよ、次の満月。最後の宝を手に入れます。
「本当にこんなところにあるのかしら」 ルビィが愛車を運転してリストに書かれた謎を頼りにやってきたのは、郊外にある畑でした。 空には満月の丸い大きな真珠のような月が輝いています。 畑にはきれいに作物がうわっています。 まるでみんなで何かを待っているみたい。 月に向かって小さな歌を歌っているみたい。 ルビィはつかのまうっとりしました。 「君はいつまで経っても詰めが甘いな」 とルビィを追い越していったのは、ベルベッドの外套に身を包んだサファイアでした。 ルビィは慌てて空想から覚めて、サファイアを追って駆け出しました。 でもしばらくすると二人はめずらしく手詰まりになってしまいました。 二人は畑の真ん中に座りこむと、延々とつづく景色を見渡しました。 「この広大な畑の中から、たった一つの宝石を見つけるなんて」 「なんだか今夜はどれも輝いて見えるしね」 リストによれば、畑の中に植わった作物の一つが真っ赤な宝石でできているのです。 でもなんだか、ルビィは気持ちがいつになくのんびりして、その場に寝転びました。
「あーあ、ドレスも台無しだわ」 「そんな格好でくるからさ」 「あなただって」 「だって、これが最後なんだぜ。それにしても月がきれいだ」 サファイアも足を投げ出して寝転びました。 「空気もきれい。太古の昔まで見通せそうよ」
二人はそれぞれこれまでのことを思い出していました。おばあさまからリストを受け継いでから、二人の生活はまるで変わって、誰かと心を分かち合うことも、真剣に恋をすることもしませんでした。でも不思議とさみしいとも思いませんでした。それはもしかして、二人だったから。 「ねえ、あなたの奪った宝石たち、どこに隠しているの?」 「それを聞いたら、奪いにくるのかい?」 「そんなことしないわ。ただ不思議に思っだたけ」 「君はどうなの?」 「どこだと思う」 「クローゼットの奥の秘密の扉の向こう」 「当たり」 「そうだと思ったよ。僕も同じだから」 「ふふふ。やっぱり。時々眺めるの。きれいだなって。でもそれだけ。集めるのは楽しかったけど、手に入るとそれほどでもないの。もう終わっちゃう」 「君さ、あの時、どうやって忍び込んだの?」 「あれはね、鍵をあらかじめ作っておいたのよ」 「なるほど」 「あなたこそ、あの時、どうしてあの暗号が解けたの?」 「実は偶然なんだ」 そんなふうに二人は寝転んだまま話をしました。思い出話や謎解きを。
小さな川の流れる音がしました。 星の瞬く音がしました。 草の揺れる音がしました。 空、風、川、大地、緑。
「もう何にもいらないような気になるわね」 「それを言っちゃおしまいだよ、泥棒が欲しがらないなんて」 「でも、本当の気持ちよ」 「実は僕もさ」 その時、小さな鈴のような音がして、二人はそっと耳をすましました。 「あっちだ」 サファイアが起き上がり、ルビィに手を差し伸べました。 ルビィは少し躊躇してその手を取りました。 二人は手を取り合ったまま夜の畑を走りました。 すると野菜の中の一つが光っているのが見えました。 「あれだ」 二人はその下まで走るとキラキラ輝いた葉を持って力一杯引っこ抜きました。 それは真っ赤なルビィでできた大きなビーツでした。 今までの何より輝いた、何より大きな真っ赤な宝石です。 「すごいわ」 「うん、予想以上だ」 月明かりに赤くキラキラと輝いています。二人はうっとり見惚れました。
けれど次の瞬間、顔を見合わせて、 「しまった、これじゃ、どっちが勝ったかわからない」 「おあいこだなんて、どっちがもらうのよ、特別なもの」 と言いました。 でも本当の気持ちはもうどうでも良くなっていました。目の前の空に星は無数に輝いて、それは手に入れなくてもいつでも遠く輝き続けて。 「よし、街に帰ったら小さな美術館でも建てよう。そこに今まで集めた宝石を全部展示するんだ。それならどっちのものでもいいじゃないか」 サファイアはいつものように嘘とも本気ともつかない調子で言いました。 「きっと盗まれるわ、宝石泥棒に」 ルビィもいつもように返しました。 「そうしたら、もう一度僕たちが盗めばいいのさ」 「そうね、それは楽しそうだわ。腕を磨いておかなくちゃ」 きれいな靴は泥だらけだけど、ライバルだったはずのサファイアと二人きり、 畑の土はやわらかくて、少し冷たくて、風が頬を撫ででるから。 もう宝探しも終わるのに、なんだろうこの澄んだ気持ち。ワクワクする気持ち。 世を偲ぶ仮の姿、煌めく宝石、二人だけの秘密、愛すること。 「まさかね」
「ねえ、ちょっとそれ持たせてくれるかしら。どれくらい重いか確かめたいの」 「いいよ、ほら」 ルビィはサファイアを見つめながら赤い宝石を受け取ると抱きかかえて、大切なものを慈しむような小さなキスを落としました。 「だから詰めが甘いのよ、あなたは」 そして走って逃げ出しました。 おしまい。