水玉物語#037 パステル
ネコのいる世界は私の世界 ネコがいれば これは正しい道 If there is a cat, this is the right world.
その淡い尖った三日月の夜、一人の魔法使いが街の屋根の上に腰かけて、 青い闇を見上げていました。 魔法使いは今でこそ、なんでも思いのままにできる魔法持っていますが、 遠い昔はこの屋根の下に暮らす人間の少年でした。 少年だった彼はいつも窓から外を眺めていろんなことを想像しました。 空を飛ぶ夢、小さな奇跡を起こして歩く夢、思いのままに世界を変える夢。 そのうち夢は少年そのものになりました。
そして今夜のような淡く尖った三日月の夜、少年はよくよく考えて、魔法使いになろうと思いました。彼の夢を叶えるにはそれしかないように思えたからです。
そして街をぐるりと探してみたけれど、少年の街には一人の魔法使いもいませんでしたし、古い本を集めた図書館へ通っても、魔法使いなる本は見つかりませんでした。
そこで少年は一人で魔法使いになる道を探すことにしました。広い世界のどこかにきっと、魔法使いになる方法があるはず。とにかく探してみよう。
少年に、いろんな人がいろんなことを言いました。 少年はそれをちゃんと聞きました。 どれも正しいことに思えました。けれど一つだけはっきりしているのは、 その先に魔法使いになる道はないということです。 なので少年はやっぱりじぶんの道を行きました。 それでも少年に不安がないわけではありません。 だって誰も通ったことのない道をゆくのですから。 旅を始める前、少年は月を見上げて深く祈りました。 どうか僕に正しい道を与えてください。 すると、屋根の上にいた一匹のネコが「Miao」と鳴きました。 少年はそのネコが月の代わりに答えたのだと思いました。
それから少年は広い未知の世界を魔法使いになる方法を探して歩きました。 少年が決めたルールは一つだけです。
そうして、少年はたくさんのネコたちのいる世界を歩きながら、青年になり、 様々な困難や試練を越えながら、世界の果てにたどり着き、魔法使いになりました。 そしていま、遠い昔生まれた街に再び戻り、屋根の上でかつて見上げた月を見上げているのです。
今夜は満月です。見ると一人の女の人が窓から月を見上げていました。 魔法使いはその女の人の心を読み取りました。 彼女の心は果てなく形のない夢を見ていました。 この街の屋根の上に、窓ガラスに映る月明かりに、明日という言葉に、彼女の目から見える全ての向こうに。 その夢を、魔法使いはすくい取ってふっと息を吹きかけ、魔法の力で叶えてあげようと思いました。けれど、不思議なことに魔法が効きませんでした。 魔法使いは驚いて、彼女に惹かれました。 彼は魔法使いになってなんでもできるようになって、ずいぶん長い時が経ち、 かつて人間の頃に抱いていた気持ちをもう思い出せずにいました。 いったい彼女はなにを夢見ているのだろう。 魔法使いはその夢を見つめながら、ネコの姿になって側にいることにしました。 彼女はしごく普通の暮らしをしていました。 朝起きて、着替えて、仕事に行って、時々友達や恋人らしき人と食事をして、 休みの日は出かけたり、窓辺に花を飾ります。 でもその心はいつもどこか遠くにありました、月を見上げて時々涙をこぼしましたり、小さな声で祈りました。何かを切実に求めているのです。そこにない何かを。手に入らない何かを。自分でもわからない何かを。 その涙を見た魔法使いの胸は痛みました。 ネコになった魔法使いと彼女は見えない絆で結ばれて、いつもどこかにお互いの存在を確認し合うようになりました。 「ネコさん、君がいると私は正しい場所にて、正しい方に向かって、正しい道を歩いている気がするの。どんな夢でも正しい道さえ通っていれば、いつかきっとたどり着くと。そう思えるの」 魔法使いはその言葉にかつて自分が人間だった頃の気持ちを思い出しました。 かつて、少年を魔法使いに駆り立てたあの夢のはじまりを。
小さな街のならんだ窓の中、いつしか彼女の中にあった夢が不思議な色に光りはじめました。ここから彼女は夢の道を歩いていくのです。その光は魔法使いに新しい夢を見せてくれました。 「君もまた僕のネコだった」 魔法使いはそろそろ頃合いだと察し、その月の夜、淡い尖った三日月の下で、街中のネコに彼女のことをお願いすると、別の街へと旅立ちました。 彼もまた旅の途中。どこかへ向かう途中。ネコがいればここは正しい世界。ささいなこと、ちいさなこと、信じればここは自分のいる世界になる。 また、いつかどこかで。長い夢のどこかで。