水玉物語#44 メランコニア
君のとんでもなさは 時々ぼくを救う Your ridiculousness save me sometimes
それは街外れのかつては広い遊園地のあった場所、今では草が生え、小川が流れる場所。 その小川のほとりで血を流し、死にかけている男がいた。男は薄れて行く意識の中でこれまでの人生を振り返って、最後を迎えようとしていた。空はよく晴れて澄んで遠くまで届いていた。鳥が数羽、風と遊びながら旋回していた。 そこにふわふわとスカートをゆらし、パラソルをさした女が通りかかり声をかける。 「あら、こんにちは」 男は朦朧とした意識で、心の中を途切れ途切れの言葉に並べた。 女はそれを注意深く聞きながら、助けるでもなく、バスケットの中から布を取り出し広げてそこに座った。次にティポットやカップを並べてお茶の準備を始める。
「ずいぶん、長いお話になりそうなので」 女は丁寧に入れた紅茶をゆっくりと飲んだ。 男は長い人生の懺悔を始めた。女はふんふんと頷きながら長い話を聞いた。 そしてこう言った。 「まるでダークチョコレートみたいなビターな人生ね」
そこに一人の薄汚れたピエロがやっていて、お茶に加わる。男は小さなサーカスに長い間尽くしてきたが、時代後れのサーカスを一新するためにお払い箱になったという。 「せっかく新しい芸を考えていたのにさ。今世紀最大にスペクタクルな芸なんだ」 「あら、それは見てみたいわ」 女が小さな拍手をして、ピエロは得意になって、石の上に登り玉投げをした。色のついた玉を投げては受け止める、どこかで見たことあるような、どこでもやっているような平凡な芸だった。 「これはそうね、平凡ね。おばあちゃんの焼いてくれたミンスパイかしら。はっきりいって、平凡よ。でも定番よ。まあ、お茶でも飲みなさいよ。ミンスパイにはミンスパイの良さがあるわ」 ピエロはうなだれながらもお茶を飲んだ。 「あなたどう思う?ミンスパイはお好きかしら?」 パラソルの女は死にかけた男に尋ねた。 男は言葉に詰まった。
今度は郵便配達の男が現れ、手紙を配達に来たという。 「あら、きっとあなたによ」 女は手紙を受け取ると、読み始めた。
親愛なるデイビット
「あら、あなたデイビットって言うのね。素敵な名前」
あなたがこの手紙を読むときにはわたしは遠い海の向こうにいるでしょう。
「あら、悲しい。別れの手紙だわ」
あのとき、実を言うと、わたしはあなたに止めてほしかったのです。 そしてどこへも行くなと抱きしめてほしかった。
「あら、ロマンティック。でも残念、あなたはしなかったのね」
あの瞬間を境にわたしたちの運命は別れてしまった。 もうきっとお会いすることはないでしょう。お元気で。 愛を込めて ベアトリス
女がその手紙を読み終えて、丁寧に折りたたんで封筒の中にしまうと、 郵便配達の男もピエロもため息をついた。 「人生にはあるよな。そういう瞬間。ここぞってときが」 「そう、その瞬間を掴めない奴はきまって冴えない人生を送るんだ」 そして、男に哀れみの眼差しを送り、 「元気出せよ。デイビット」 「そうだよ。まだチャンスはまたやってくる」 と励ました。
「そんなときは甘いものをお食べなさい」 と次に、現れたのはお菓子のたくさん入った箱を持った怪しげなローブを被った女でした。 ミルクチョコレートビスケットをかじりながら、女は言いました。 「私は子供頃から不思議な力があってね、それで占い師になったのだけだけど、ちっとも当たらないっていうの。お代がもらえないのはいつものことで、ときには物を投げつけられたりすることもあるの。この詐欺師って。でも私には確かに力があるはずなの。だから今日は誰のことでもなく占ってみたの」 「そしたら、甘い物を持って西の方に歩いて行くと死にかけた男がいるって、ほら、当たっているの」 と、お茶会に加わりました。
男は今際の際に訪れたこの不可解な状況を見つめながら、これまで自分のしてきた非道な行いを思うと、憎まれ恨まれきっとろくな死に方はしないと思ったけれど、まさか、こんな展開は思いもしなかった。
目の前に広がる柔らかい日差し、小川、ミルクティ、焼きたてのお菓子、おしゃべり。パラソルを広げた女と化粧の禿げたピエロと郵便配達の男と占い師。死にかけた男の横で死んでいくことなど御構い無しに、ピクニックは続く。 男はふっと笑って、ここはもう天国なのかもしれないなと思った。だってここには善も悪もない、憎しみも欲望も争いも遠い。ただ柔らかく狂っているだけ。 なんだかとても暖かい気分だ。妙に救われた。 これが俺の最後なのだとしたら、世界はそう悪いところではなかったのかもしれない。遠ざかる声に目を閉じた。 でも、男は同時に思う、こんな馬鹿げた最後でいいわけがない。何がなんでも、生き延びなくては、と。 そして、彼らに俺の名はデイビットではないと、教えてやらなくては。