水玉

水玉物語#098パステル

誰かがどこかで
そっと
物語を書いている
 パステルの街で、賭け事を生業として暮らしている強く美しい女がいました。いつも丈の短い水玉のドレスを身にまとっていることで、水玉と呼ばれていました。
 壊れかけたビルの最上階にある、ベッドと窓辺の小さなテーブルしかない部屋に住んでいます。彼女はこれまで賭け事に勝って集めたお金をベッドの下に隠していました。

 彼女は夜の街へ出かける前に、お茶を飲みながら窓の外に見える街を、いつも不思議な気分で眺めました。この街にはいつかやってくる奇跡が見えるような気がするけれど、実際の生活はどこを見ても、なんとか身を引き締めて、姿勢を良くして、不敵な顔をして、やっと正気を保っていられるような、惨めなもの。それなのに、この街ときたら、どんなものでもかわいい色をして、かわいいものを並べていれば幸せでしょう?と言っているようだわ。

 彼女はどの男たちより強く。どんな女たちより美しい。そうならなければ、生きてくることができなかったのです。
 
 そんな水玉は次の満月の頃、大きな勝負をするつもりでした。この勝負のためにこれまでがあったようなものです。絶対に勝たなくてはいけません。彼女はその勝負にベッドの下の有り金をすべて賭けるつもりでいます。そして莫大な富を得て、この街の一角にある工場地帯を買い取ろうと思っているのです。

 
 街の北部に連なる工場地帯は、幼い水玉が両親に連れられて、この街にやってきた頃からありました。その頃のこの街はこんな狂った街ではなく、ただお菓子工場が並ぶだけの街でした。工場に働きに来ている者たちはみんな貧しかったし、借金がある者も多くいました。それでも皆まともに働いて、夜になると酒場で安い酒を飲んだり、休みの日には街に一つしかなかった簡素な劇場に足を運んだりして、日々の片隅に夢を見ていたと思います。

 けれど、いつからかこの街は、日々夢のようなことが起こる代わりに、誰も夢を見ることができない街になってしまいました。

 水玉は今でも覚えていることがあります。幼い頃、大事にしていた人形が壊れて捨てられたことを悲しんで、夜中に家を抜け出して一人、街外れのガラクタ山に登りました。ここには街中の、あるいは世界中の壊れたおもちゃが集まって山になっていると言われています。

 水玉はそこに登り、他のおもちゃたちの上に置かれていた、壊れた人形を抱き上げて泣きました。

 今、振り返ると、あの頃はまともだったと言えるけれど、あの頃はあの頃で、今とは種類が違うだけで惨めで絶望的でした。あの日、水玉は幼いながらに受け止めてきた日々の悲しみが、人形のことをきっかけに、幸せなどどこにもないような気持ちになって、溢れたのでした。

 その時、一人の少年が水玉に、どうしたの?と声をかけました。見たこともないような綺麗な格好をした少年でした。水玉には彼は人間ではなく、神様の類ではないかと思えました。だから、こんな暮らしは嫌だ、もっと楽しいことがたくさん起きる街に暮らしたい。甘いお菓子をたくさん食べて、かわいいものに囲まれて、欲しいものをなんでも手に入れられる、きれいで強い大人になりたい。と告げました。

 少年はしばらくその話を聞いていましたが、水玉の頭を撫でると立ち上がって、
「わかった。僕が君の願いを叶えるよ」と優しい声で言いました。水玉はその時の工場の上に瞬く星が、少年の澄んだ声に共鳴したのを覚えています。
 それからなのです、この街がおかしくなったのは。
 
 水玉は心のどこかで、もしかしたら、あの時あの少年に言ったことが、この今を作っているのではないかと思っていました。もちろん、何の確証もないけれど。どこかで幼い水玉の願いを今も忠実に叶えようとしているあの少年がいるのではないかと思えてならないのです。だとしたら、少年はきっと孤独で悲しい思いをしている。なぜだろう、そう思うのでした。

 だから、もう一度あの工場とガラクタ山を買い取って、あの夜をやり直そうと思っています。あの少年ともう一度会って、今度は、あれから長い時が経って、たくさんの悲しみもたくさんの苦しみも知って、それでも消えなかった夢も知った、私の本当に願うことを伝えよう、と思っています。今度はこの街も少年も一緒に幸せになれるように。

 そうすれば、この狂った夢を止めることができる。そして新しい別の夢の物語が始められるはず。それは勝手な思い込みかもしれないけれど、私はそうしなくてはならないのです。私にはこの街のおかしな夢の隙間に、本当の希望が見えるから。

 水玉は窓から見える街に小さくキスを一つ送ると、有り金を抱え、勝負に向かいます。とにかくこの勝負に勝たなくては始まりも終わりもないのです。でも私は負けない、その機会を必ず手にする。なぜなら、私はいま、幼い私が夢見た夢、誰よりも強く美しい水玉なの。そして、この街は私のために作られた街なのだから。

物語は何度でも書き直せばいい
私たちには無限の時がある