ピエロの恋

水玉物語#050ファラウェル
それは月の夜
時の隙間を潜って
サーカスがやってくる

 月夜にするりとやってくる不思議なサーカスの一座がありました。街から街へ、夢の光を撒きながら旅をする一座です。

 一座のおでましのパレードの先頭にはいつもピエロがいました。象の頭の上に腰掛け、両手から花びらを撒き散らす、美しいピエロです。見るものをいとも簡単に魅了し、サーカスの世界に引き込みます。そして心に夢の光を与えるのです。

今宵、訪れた街でもやはりサーカスの幕をあけるのはピエロです。

 今度の街は少し物悲しい様子でした。大人たちはいつのまにか夢を忘れ、疲れ、街は時を止めてしまったようでした。

けれど、ピエロはそんなことはお構いなく、両手から花びらを撒き、魅惑的な笑みを浮かべます。なぜなら、ピエロは美しく魅惑的な自分がとても好きなのです。

 そんなピエロに団員たちはときどき、肩をすくめましたが、ピエロは自分を愛しすぎるがために、とても気のいいやつだったので、関係は良好でした。





ところがそんなピエロがある夜、恋をしました。

 それは新しい幕の開ける前夜のことです。パレードを終え、団員たちがそれぞれ引き上げた寝床で、いつになく寝付けなかったピエロはひとり、サーカスを抜け出して、人気のない旧市街を散歩しました。古い街に残された長い時の面影に、ピエロはめずらしく感傷的な気分になり、世界中で一人ぼっちに思えました。

だからくるりと一回転して言いました。
「サーカスがやってきたよ。街にサーカスがやってきたよ。泣いている子は連れて行くよ。眠らない子はさらって行くよ」

足踏みして回りながら、ふと見上げると、古い建物のバルコニーで空を見上げる女の人がいました。ピエロは足を止めてその人を見つめました。女の人は月を見上げていました。そして大きな目を開けたままポロリと大粒の涙を流しました。その涙はまるでピエロの心から溢れた涙のようで、

 ピエロはその瞬間、どうしようもなく恋に落ちたのです。


 次の日、サーカスの幕が開けたけれど、ピエロはどうしてか今までのように溢れる自信を持って会場を魅了することができなくなりました。ピエロの唯一の芸である手の中から一輪の花を出したり、花びらを降らすことさえ、たどたどしくなりました。

これまで自分を愛し、いつも一人自信のある笑みをたたえていたピエロが、楽屋裏でしょんぼりと膝を抱えている様子にサーカスの仲間たちは心配しました。ピエロはめずらしく素直に心を打ち明けました。

「なんと、あのピエロが恋を」
「それも人間の女の人に恋を」

ピエロと同室の風船使いのジョー、双子の球乗り姉妹のピピとペペ、猛獣使いのテオと大きなオレンジ色のライオンのタオは、眠ることもできなくなったピエロの話を聞きました。

「僕はいままで気付かなかったのです。僕には美しさをとったらなんの芸もないということに」
ピエロは言いました。
「その自慢の美しさで彼女をモノにできないのかい?」
風船使いのジョーが風船のようにお腹を膨らませながら聞きました。

ピエロは悲しげに首を振りました。
「それどころかあの人は僕に気づきもしないのです」

ピエロは何度か彼女の窓の下まで行って、自慢の美しさや花を降らせる芸を見せたけれど、彼女はピエロに気づきもしないといいます。

そこで団員たちはあれこれ考えた末に、みんなでそれぞれの芸をピエロに仕込むことにしました。


特別講演『ピエロの恋』

風に乗るブランコ乗り
風船を突き抜ける短剣投げ
牙を操る猛獣使い
綱渡りはゆらゆらと
軽業師は
ピエロと柔軟体操
手品師は愛を奏でる
手品の仕込み
双子の玉乗りは
応援の歌を歌います
サーカスはピエロの一大事に急遽「ピエロの恋」にすべての演目を変え、ピエロは失敗しながらも熱心に練習を重ねました。その様子にサーカスにあふれた子供達も夢中になりました。

そして次の満月の夜。

The coming night of the full moon





 このサーカスが街を出て行く前の晩、ピエロは身につけた芸とそこに生まれた本物の自信、ちょっぴりの不安と共に、彼女の窓辺へと向かいました。心配した仲間たちはこっそり後をついてきました。街中の子供たちも小さなピエロに扮装してついてきました。

 ピエロは彼女の住む部屋の下から、いつものようにベランダにあらわれた彼女に向かって、練習した芸を披露しました。今までで一番うまくできました。サーカスの団員も子供たちも思わず浮かれて、手を打ったり足を鳴らしたりしまうのを我慢しなくてはいけないほどに。

 けれども、彼女はとうとう最後まで、ピエロにもサーカスの団員たちにも気づきませんでした。


 このサーカスは子供のうちのほんの一時しか見えないのです。


ピエロは最後に小さな花を手の中から取り出すと、彼女に捧げ深くお辞儀をしました。本当はわかっていたのです。ピエロもサーカスのみんなも。でも夢を見たのです。

「これにて今宵のサーカスは幕を閉じましょう。またどこかでお会いできる日を夢見て」
花は風に花びらをなびかせ、消えました。

その時、彼女が、

「なんだか今夜はいつもより月が綺麗に見える。不思議だわ、明日は何かとても楽しいことが起きそうに思える」

と涙の代わりにほほえんで言いました。

ピエロは仲間たちを見渡して、これでいいと思いました。

私たちはサーカス。誰かの心に小さくても夢の明かりを灯すのが仕事。さあ、次の街へいこう。ピエロは世界中が魅了される美しい笑みを見せました。恋をする前よりももっと素敵な。

子供たちはピエロの代わりにポロポロと泣きました。 後から、後から泣きました。その涙はこの先、きっと彼らを守ってくれるでしょう。

その涙はこの先、
きっと
彼らの夢と街を包んでくれるでしょう。