すみれとスズランの旅

水玉物語#046フォーエバーランド

もう少しだけ
君と一緒にいたいよ
あの頃のように
 メイフラワー城の上階にある自室の窓辺に腰掛けて、外を眺めているのは春の国のスミレ王子です。スミレはこの場所から麗しく咲き誇る春の国を眺めるのが大好きです。

「お呼びですか?」
入ってきた背の高い男はスズランといって、スミレ付きの家臣です。スズランはスミレを誰よりよく知っています。

スミレは来月、正式にとなりの虹の国の姫と婚約することになっています。それは王位継承を意味すること。めずらしくおとなしく王の決定に従う様子を訝しげに思っていたスズランは、後日スズランを呼びつけて、
「ねえ、スズラン、君にお願いがあるんだけど」
と、にっこりと微笑むスミレの顔を見て、やっぱりと思いました。

この王子はいつだって、春風のようなかわいい顔で微笑みながら、厄介ごとを持ってくるのです。
「つまり、いろんな女の子をということですか?」
スズランはスミレの部屋の薄い紫色のカーテンを整えながら冷ややかに言いました。
「もちろんそれもある。でもそれだけじゃないよ。いつかより良い王になるためには色々と今のうちに見ておかないといけない気がするんだ」
開け放った窓に腰掛けたスミレは、窓から入る光に照らされながら言葉を紡ぎました。

スズランはカーテンを整え終えると、慣れた手つきで紅茶を入れながら
「では、隊を組んで色々と見て歩けばいいのでは」
と返すと、
「でも、ほら、王子だとわかっているとみんな気を使うだろう」
「と、言いますと?」
「だから」

スミレがスズランに耳打ちしたのは、スミレとスズランの二人だけで城を抜け出して旅をすることでした。

「そんなことできるわけがない」
スズランは驚いて手に持ったかカップを落としそうになると、スミレはさっと手を伸ばしてカップを支え、
「ほら、僕たち二人なら大丈夫さ」
と、いつもの花の咲くような笑顔で微笑みました。

スズランは結局スミレに弱いのです。
 それから二日後の未明、スミレとズスランは、スズランの用意した衣服に着替えた、二頭の馬を連れて夜明けに外に出ました。

「スズラン、さすがだね。この服ならまさか城の者とは思われないよ。それにずいぶん動きやすいな」
スミレはその衣服が気に入ったように、嬉しそうに飛び跳ねました。
「お褒めいただき光栄にございます」
スズランはわざと丁寧に答えました。

「ねえ、スズラン。ここはもう城じゃないんだ、昔みたいに普通に話そうよ」
スズランとスミレは幼い頃から知っている幼馴染なのです。
「滅相もございません」
スズランはすました顔で歩を進めます。
「ねぇ、僕はもう一度昔みたいに君と過ごしたいんだ」

「王子、人は過去には戻れないのです」

「昔に戻りたいわけじゃないよ。今の君と昔みたいに過ごしたいんだ。今はこんな格好して旅をする二人だろう」

スズランはため息をついて、
「わかったよ。その代わり、言いたいことはなんでも言うからな」
とスミレを睨みました。

スミレは何も言わず、本当に嬉しそうににっこり微笑みました。
 
 スズランは前を楽しそうに歩くスミレを見ながら、そうは見えないが、この男も色々考えているのだろうと思いました。

 スミレは確かにこの国を色々と見てみたいのだろうけれど(特に色々な女の子)、それは、これから先、この国の王となっても、今持っている自分の中の小さな思いや思い出を大切に守るために必要なことなんだろう。スミレはこの国と同じ春そのもの性格で、明るく朗らかで楽しいことが好きで、どんなことも楽しんでしまうけれど、それでも国のために個人を捨てて生きるのは、簡単なことではないはず。
そんなことを考えていると、すみれが振り向いて言いました。
「ねえ、スズラン。温かい紅茶が飲みたいよ」
「君は名もない旅人になったんだろう。がまんしなさい」
「そんな。ほら、もう夜明けだよ、朝に君の入れた紅茶を飲まないなんて、僕の一日は始まらないよ」
「ここはもう城じゃない、こんなところで紅茶を入れられるわけがないだろう」
「いや、君がお茶の道具を持ってこないわけがない」

結局、スズランは城から少し離れた小川のほとりで、お湯を沸かしお茶を入れることになりました。朝日が少しずつ森を広げていきます。小川がキラキラと眠りから目覚めます。
ティーカップを手に持って、にっこりしながら要求を通したその横顔を見ながら、スズランは、危うくこの魔力にほだされるところだったと我に返りました。いいか、騙されちゃだめだ、こいつは昔から結局わがままで、結局お気楽で何も考えていない、いい加減なやつだった。口先ばかり上手くて、にっこり微笑めばなんでも思い通りになると思っている。

「スズラン、おいしいよ」

けれど、不意に振り返って微笑んだその顔を見て、スズランは思いました。本当に、ここは春の国だな。これは春の王子だ。あたかい風が吹いて、一瞬で人を幸福にする春の魔法を持って生まれた者。
 それから二人は軽口叩きながら春の国の町から町へ旅をし、その間、スミレはやっぱりいろんな女の子に目移りし、スズランはそれをたしなめるやりとりが続きました。

そして明日はついに城へ帰る最後の夜です。

ここは、まだ二人が城にあがる前の子供の頃、夜に屋敷を抜け出して一晩過ごした湖のほとりです。いつも星のきれいな夜でした。

春の国にはいつも優しい風が吹いていて、花は月明かりに照らし出されてきらきら揺れています。夜の空は春の星座の追いかけっこ。湖の水は澄んでいて、サラサラと風に揺られた水面が音を立てています。二人は手足を投げ出して木の下に寝転びながら遠い星々を眺めました。

 今日のこの景色をずっと僕の中に保存しておこう。この澄んだ空と澄んだ心のこの一夜を。隣にいる友の温もりを、伝わってくる心を。

子供の頃から二人はずっとこの国のことを考えてきたけど、ここからはこの心ごと、この国そのものになろうと静かに決意しました。

「スズラン、君がいて良かった。僕は一人で不安になったことも寂しいと思ったことも一度もないよ」
「私もあなたが王子でたいくつしたことは一度もないよ」
「僕たちはこれからも友達かな?」
「ああ、間違いなく」

さあ、帰ろう。ここは僕たちの国なのだから。守るべきものがあるのだから。

春には誰もが心浮かれ
優しくなって微笑むために