水玉物語#072フォーエバーランド
夜が明ける前 迷い込んだ森で 一頭のユニコーンに 会いました
その夜が明ける前、物思いに眠れなくなった私はほんの少しの間、深い森に迷い込みました。その森は静かに深く澄み渡り、青い靄に包まれていました。遠い昔、読んでもらった本の中に出て来た、永遠の森によく似ています。 半透明の木の下にそのユニコーンは座っていました。怪我をしているようです。私がゆっくりその子に近づくと、ユニコーンは少し警戒して身を起こし、静かな目でじっと私を見ました。深いエメラルドの曇りのない目で私を調べているようです。この森にそぐわないものであるか、自分に害を与えるものであるか。 私はじっと見つめられるまま判断されようと思いました。だって私にもわからない。私がいったいどんなものか。その本のお話によれば、彼らは聖なる角を持ち、水晶の湖からうまれた森にしか生息しない伝説の生き物。だから彼らの判断はきっと正しいはず。 やがて、ユニコーンは私を認めたのか警戒を解いてくれました。私はそっと近づいて、首のスカーフをほどいてその細い脚に巻きました。
「どうもありがとう」 ユニコーンは丁寧な口調で言いました。 「どういたしまして」 私は答えました。 「君は人間かい?どうしてこんなところにいるの?」 ユニコーンは手当された前脚を鼻でなでながら言いました。 「道に迷っちゃったの」 「そう、それはずいぶん遠くまで来たね」
私は足を引きずりながら歩くユニコーンを手伝って、仲間のユニコーンが生息するエメラルドの沼地まで歩きました。 「ねえ、あなたは男の子なの?それとも女の子?」 「僕たちには性はないよ。どちらでもいられるの」 「それは素敵だわ。私は時々男の子になりたいと思う。でも女らしくもしたい。どっちにもなれたらとても楽しいと思うわ」 確かにユニコーンは男の子にも女の子にも見えました。きっとそんなものを超越した存在なのでしょう。すると、ユニコーンは唐突に言いました。 「実はね、僕好きな子がいるんだ」 私はまさかユニコーンの恋の話を聞くことになるなんて、と途端に楽しい気持ちになりました。 ユニコーンの好きな子はうさぎなのだそうです。不思議な森でいつも真っ赤な目をして酔っ払って、甘いお酒のたっぷり入ったケーキを焼いているといいます。 「まぁ」 ユニコーンは嬉しそうに続けます。 「僕たちは幼い頃から知っているんだよ。僕に一角が生える前から。その頃は森の動物も伝説の生き物もあまり変わらないんだ。よく一緒に遊んだんだよ。あの子はとても恥ずかしがり屋で、みんなよりずっと臆病で、いろんなことがとても気になって大変なんだ。あの子も僕のことが好きなんだけどね、恥ずかしくて、会いに来る時はいつも酔っ払っているし、僕が近づくと隠れてしまうんだ」 「それは、ずいぶんと、大変ね」 私は返答に困ったけれど、ユニコーンが澄み渡る声で、ずいぶん特殊な恋を語るので、少し困惑しながらも優しい気分になりました。なぜだか、ユニコーンの口から紡ぎ出される言葉は、まるで聖なる啓示のように心を癒すのでした。その内容に関わらず? 「あなたたちはどんなことがあっても汚れないのね」
それから私たちは森のまだ奥へとゆっくり歩きました。途中できつねと出会い、ユニコーンはいくつか言葉を交わしました。 「あのキツネにはペテン師の兄がいて、どんなものでも取り出せる鞄を使って、人々から金を巻き上げているんだ。あの弟は道楽者で、キノコの上に寝転んで、兄キツネの集めてくる金を当てにしてありもしない夢ばかり見ているんだ。そうそう女の子にとても手が早いの」 「それはまた・・」 私がまた言葉に詰まると、 「気のいい奴らだよ」 とユニコーンは言い、コロコロと笑いました。 私はまた少し当惑しながら思いました。穢れなき、とはなんでしょう。
次に出会ったのは二本の角を持つ馬たちで、彼らはユニコーンの姿を見ると少し恥じらうように身を隠し逃げていきました。 「あれはバイコーンだよ。バイコーンは不純を司る生き物だから、僕らから身を隠すのさ。僕らの巣には決して近づかないように暮らしている」 「彼らは何か悪いことをしたの?」 「諸説あるけど、ただ生まれた時からそうきまっているの」 「かわいそうに」 「そうでもないよ。その代わり彼らは純潔でなくてもいいんだからさ」 純潔を司る穢れなき生き物であることは大変なことなの?
そして私たちは一本の大きな大きな真っ白な木の下に広がった、エメラルド色の沼地へとたどり着きました。そこにはたくさんのユニコーンが水浴びをしたり、戯れたりしていました。その姿は目を見張るほど美しく神々しく見えました。 「綺麗な沼、美しいユニコーンたち、それから大きな木」 私はその沼の中央に生えた木を見上げながらつぶやきました。 「あの木はこの森に不思議な力を与えている守り神だよ。もう何千年も前から完全に死んでいるんだ」 「まあ、死んだ木がこの森を守っているの?」 「死は生よりずっと力があるから。完全な死は尊いんだよ」 「完全な死って何?」 「まるで揺るがないすべてを飲み込んだ死だよ」 「私、死は悲しいものや暗黒を意味するものだと思っていたわ。でも違うのね」 「死は最も強い魔法だよ」 見あげると死した木は空高く伸びた細い枝の先まで、真っ白に煌めく粉に覆われていました。その粉が風に舞って、森に流れています。 ユニコーンは水に足を落とし、たてがみを震わせ深く頭を下げました。 「ありがとう。ここまで送ってくれて」 遠くから水の上を歩いて、彼の兄弟がゆっくりと迎えに来ました。 「感謝します。兄弟の怪我を治してくれて」 「お礼に何か奇跡を差し上げましょう」 と煌めく声で言いました。同じように澄み切った目をしていました。 「ありがとう。でも私はもう十分にもらったわ。ここへ来ただけで、十分に奇跡をもらったの。本当よ」
私の住む世界にはたくさんの人がいて、たくさんの価値観がある。多くの人が持っている価値観もあれば、独特なものもあるし、身勝手なものもある。私はそれをすべて認めようと思ったら、何が正しいのかわからなくなって、道に迷ってしまったの。 私のことも同じ。私は女らしくもあるし、女らしい愛情も持っている。でも時に男のようにものを考え、振る舞いたいこともある。何か一つには決められないし、一方を肯定すると、一方を否定することになる時もある。 けれどここにきてこの景色を見ていたら、私はなんだか心が軽くなって、自分が何を悩んでいたのかわからなくなった。 きっと何も認める必要なんてないんだわ。あるがままでいい。真実はこの永遠の景色そのもの。あのユニコーンの深い目の奥にある純粋さは揺るがない。心配しなくてもこの世界には決して穢れないものがいる。聖なる存在とはきっとそういうもの。 さあ、帰らなくちゃ。あらゆるものが混在した、けれど自由な私の世界へ。