水玉物語#052フォーエバーランド
青いマフラーを巻いて 草むらに目を閉じる 雲の羊が空を食む
かつてこの地を治めていた王国は悪い魔法使いとの戦いに敗れ、呪いに支配されてしまいました。 王は最後の希望を少年だった王子に託してこっそり逃がしました。 少年は妖精たちに守られながら魔女の目を盗み山の上に逃れ、そこで雲の羊を飼う羊飼いになりました。妖精たちは王の託した希望を青いマフラーに変えました。
羊飼いとなった王子は来る日も来る日も羊たちを空に放ち、一番星が昇るころに笛を吹いて、羊たちを集めました。そして山の上に雲の塊のようになって眠るのです。 季節は少しずつ巡りました。穏やかな季節が過ぎ、暑い陽射しをやりすごすと、少しずつ木々の葉が色づき、何度も寒い冬がやってきました。 冬になると羊と王子たちは山を少し降りたところにある羊小屋で寒い季節が過ぎるのを待ちました。暖かい季節に拾い集めた木々を燃やして暖をとり、ミルクを温めてポットにたっぷり紅茶を入れ、古くてとても厚い皮の本を開き、長い長い王国の物語を読みました。
それから幾年もたち、少年は立派な青年になり、羊飼いの仕事にもすっかり慣れました。雲の羊からとれる雲の糸は、軽くてふわふわと温かく、どんなものでも作ることができると評判になるくらいです。 そんなある日、たくましくなった青年を見て、妖精たちはそろそろ王子を名乗り、悪い魔法使いを退治するために出かけるべきだと言いました。 羊を空に放ち、山の上の草原に寝転んだ羊飼いは、耳元で話す妖精たちの言葉を聞いて、 「君たち、心配してくれてありがとう。でも僕は嫌だよ。そんな怖い魔女と戦うなんてさ」 と妖精たちの小さな頭を指でなでながら言いました。 妖精たちはその発言に驚いて、 「なんということを!あなたはこの国の王子なのですよ。お亡くなりになった王や王妃があなたに託した希望を・・」と口々に騒ぎました。 それでも羊飼いは一向に悪びれず 「僕はこの羊飼いの仕事が結構気に入っているんだ。気楽だし、空は青いし。王子になんて戻らなくてもいいんだよ」 と、寝転んで目を閉じました。 妖精たちはその後も羊飼いに口うるさく言いましたが、羊飼いはまるで取り合わず、戦う意思もこの国を救い意思もない様子です。なげかわしいと妖精の長は嘆きました。 「だいたい、悪い魔法にかけられたというけど、ここはこんなにきれいだし、僕にはよくわからないな。みんな幸せに暮らしているかもしれないよ。もしそうだとしたら、僕が出て行って成敗するなんて、まったくお門違いだろう」 「何を呑気なことを」 「そのようなことはありません。あの日からこの国の民はずっと苦しんでいます。その証拠にこの山の上にだって、花の一つも咲くことはないではありませんか」 「そっか。それはそうだ」 羊飼いは山の上まで続く草原を見渡して気の無い返事をしました。 妖精たちは呆れました。この方は本当に私たちの王子なのでしょうか?もしかしたら長い年月の間に他の人間と入れ替わってしまったのではないか?もしくはこれこそが魔女の呪いなのでしょうか? 妖精たちが慌てているうちに、季節はまた冬に近づいてきました。
その冬はいつもよりずっと寒い冬でした。例年通り冬支度をしている羊飼いの元に、羊飼いの雲の羊の糸を欲しがるマントを付けた老婆がやってきました。 「この寒い冬を越すために、あなたの雲の羊の糸をすべて私にお譲りください」 妖精たちは気づきました。それはあの悪い魔女でした。国中の良きもの温かいものを奪い尽くした魔女が、ついにこの山の上までやってきたのです。みると、魔女はずいぶん弱っていました。 妖精たちは 口々に、 「王子、これはチャンスです。いまこそ、魔女を倒すのです」と言いました。 羊飼いは 「そうか、絶好のチャンスね」 と相変わらず、聞いているのかいないのかわからない返事をして、魔女をじっと見ました。 羊飼いはおぼろげに思い出しました。まだ幼かったころ、悪い魔法使いが現れて、人の良かった王や王妃を騙し、この国を乗っ取ってしまったこと。穏やかだった日々が、一瞬にして壊されていったこと。 羊飼いはしばらくして、 「ふん。わかったよ。少し待っていて」 と納屋の中にある雲の羊の糸をすべて集めて魔女に渡しました。 魔女はそれを受け取ると、山を降りて行きました。
「どうして」と妖精たちは騒ぎました。 「あれは王国に呪いをかけた魔女なのに」 あるものは悔しさのあまり震えています。 「うん、まぁ、そうだね」 羊飼いはそのまま冬支度を続けました。 妖精たちももう何も言いませんでした。
そして、長い冬がやってきました。 羊飼いはついに長い物語を読み終え、分厚い本を閉じました。 「んーつかれた」 と伸びをしました。 外では冬の終わりを告げる風の音がしました。 外へ出ると、空気が変わっていました。雪は溶け、空はより青く、澄み渡っていました。草原にはずいぶん長い間咲くことのなかった花が咲いていました。 「王子、これはいったいどういうことですか?」 「さあ」 「何かなさったのですか?」 「何もしてないよ」 「でも、いつのまにか、呪いが解けたようです」 「それはよかった」 妖精たちは嬉しそうに澄んだ大気の中を羽ばたきました。 羊飼いは冬の間にずいぶん丸くなった羊たちを空に放ちました。また心地よい季節がやってきます。
彼はきっとどこまでも王子であったのです。彼に残された最後の希望は悪い魔法使いを倒すことではなく、時が来るのをじっと待ち、そしてどこまでも公正な王子であり続けること。 結果的にはということですが。 その後、王子は城に戻り王となりました。かつて王子の向けた公正な優しさに悪い魔法使い自身の呪いも解け、良い魔法使いとなって王国は前にも増して栄えました。 でも、王となった羊飼いは春になると青いマフラーを巻いて、山の上に登っては羊たちを眺めて昼寝をしました。