水玉物語#076フォエバーランド
ゆっくりと バスタブを 周回する君の ペースで
その淡いハチミツを溶かしたような午後、ベルはゆっくりと泡を立てながら、お風呂に入っていました。お風呂はいいな。温かくて。柔らかくて。いい匂いがする。それに、つかのま進み続ける時間から、私を隠してくれる。
ふと見ると、バスタブに一匹のいもむしが歩いていました。 ずいぶん太ったマーブル模様のいもむしが、さもずっと前からここにいましたというように、ここは王家の通り道ですよというように、体を曲げたり伸ばしたりしながら歩いています。 ベルは泡に埋もれ顔だけ出して、時々いもむしを見ました。 「君はさ、私が君を怖がると思っているんでしょ、女の子たちのように」 いもむしは何も言わず縮んだり、伸びたり。 「でも残念ながら、私は怖がらないの。虫なんて怖くないの」 もしかしたらこのいもむしはここでは珍しい、おしゃべりもしない普通のいもむしかもしれない。 「どうして、人は虫や動物を怖がるのかな、たしかに野犬とか熊なんかは人を襲うし、怖いものだけど。あなたみたいないもむしは危害を加えないじゃない。それにフワフワして、きれいな色しているし」 「君はさ、そうやって伸びたり縮んだりして、でもやがてきれいな蝶になることが約束されているの。だから怖がるのかな、女の子たち」 いもむしはいもむしとしてそこにいて、もちろん何も言わず、いもむしのペースでゆっくりゆっくりバスタブの縁を一周しています。
「この間ね、狼に食べられる夢を見たの。暗い森の中で狼に出くわすの。灰色の毛並みのつやつやした奴よ。私をずいぶん前から狙っていて、偶然出会った感じを装って、先回りして木の影で待ち伏せていたの。彼と私は出くわした所で、少し距離をおいて、柔道の試合前みたいに立ち止まって、互いに相手の動きを見ていた。私は見つめあいながら、戦うべきか否か考えた。戦ったらおそらくすぐ負けるけど、何もしないで食べられるよりまし。私は臆病者でいたくなかったの」 「でも私、その透き通った目を見ていたら、気持ちが変わっていった。本当にきれいなブルーグレーの目だった、世界の果てまで透き通せそうな。もしかしたら、その目は私のことなんか通り越して、何か別のもっと重大なことを見ているんじゃないかと思えたの」 「そうしたら、私ね、生まれたての子ヤギみたいな気分になって、自分は食べられる価値もない無力なものなんじゃないかって、恥ずかしくなって、むしろこのまま食べられてもいいなって思ったの」 「どうか、私を食べて、骨までバリバリその牙で砕いて、あなたの血や肉にしちゃってくださいって、願ってしまったのよ。びっくりだけど。そこに自ら膝をついてしまった、狼の牙が私にかかるのを夢見ているように」 なんだか雪でも降り出しそうなほど空気が澄んでいて、狼のおなかの中に収まったらすべてのことが報われるような気がしたの。 おまえはもしかして夢の続き?
いもむしはついにバスタブを一周しました。 おつかれさまです。 ベルはすっかり泡もなくなり、お湯も冷めたので、いもむしを濡らさないように気をつけながらお湯を抜いて外に出ました。
狼なんて怖くない。 怖いものなんてない。 うそ、怖いものはたくさんある。 だからお風呂に入って少し休もう。 世界を気持ち良く散歩するための秘訣は 歩きやすい靴をはくこと だいたいの地図を用意すること リズムのよい音楽を聴くこと。 日々できるだけ強くなっておいて、むやみに怖がらないようにすること よく眠ること それでも、その身を飲み込む巨大な何かに遭遇したら、あっさりと自分の弱さを認め、世界のバランスを効率よく埋めることに従順になること。敬意と喜びを持って。 それはお風呂に入るようなこと。