水玉物語#062メランコニア
ネコと鳥は向かい合った家で、それぞれ愛されて大切に飼われていました。
赤い三角屋根のお家に暮らすネコのご主人さまは、美しい横顔をしたピアノ弾きです。 軽やかに長い指で鍵盤を撫でて綺麗な音色を奏でます。ネコは居心地の良い椅子の上で丸くなり、その音の合わせて長い尻尾を揺らします。するとピアノ弾きはにっこり笑ってその尾っぽに合わせて演奏を変化させ、ネコと飼い主はまるで一体の音楽になるのです。 ネコはそれをとても誇らしいと思いました。
緑色のとんがり屋根のお家に暮らす鳥の飼い主は、とても綺麗な金色の髪をした女優です。いつも長いお芝居の台詞を鳥に読んで聞かせます。鳥がいつのまにか覚えてしまった言葉を繰り返すと「まぁ」と頬を赤らめ「いい子ちゃん」と言ってくれます。
お芝居のクライマックスになると鳥はきれいな歌をさえずって、台詞の中に入り込んだ彼女の心にそよ風を送るのです。
鳥はその時、どこまでも自由に飛んでいるような気がしました。
二匹は時々、向かい合う窓でガラス越しに、自分たちはいかに幸せか語り合いました。そしてそれがどれほど恵まれていることか、互いに確認し合うのです。 「外に暮らしていたら、僕は君に食べられることもあるという、こわいことだ」 「そんな私も飛べないのだもの、雨に打たれ、泥の中で眠ることもあるそうよ」 「それよりもそんなことも気づかないほど、腹を空かせているのだから」 「きっときれいな音楽のことなど知らずにネズミを追いかけて死んでいくわ」 外の世界はおそろしいところ、私たちはこの中で愛されて守られて本当に幸せだと。
ところが、ある日、どちらのご主人様も留守の時、偶然にも、いつもの向かい合う窓はどちらも開けたままになっていました。 きっとご主人さまが閉め忘れたのです。 「おや」ネコは窓の枠に登って言いました。 「あら」鳥も窓の淵に止まって言いました。 彼らはしばらくそうやって、外の風を感じながらじっとそこにいました。
外には光が差しています 風が吹いています 花の香りがします 草の香りがします 木々のざわめきが聞こえます 空は青く、遠くまで澄んでいます
次の瞬間、鳥は空に飛び立ち、ネコは木に飛び乗りました。 そして羽を動かし、手足で飛び跳ね、広い世界に出ていきました。 戻ったら、ご主人様がきっと悲しむだろうと思ったけれど、 きっと私を探すだろうと思ったけれど、 ずっとここにいたいと思ったけれど、 その思いは一瞬でかき消されてしまいました。 広い世界に飛び出す心地よさに、 湧き上がる心を埋める景色に、果てなく続く衝動の行方に。 わかっていても、本能には逆らえない そんなある日のお話でした。