水玉物語#043千年街
もしも雪が降ったら 世界は僕らを 止めてくれるだろうか
二人は長い間恋人だった。恋人であり友人であり、兄妹のように親密だった。 二人が出会ったのはとても寒い、雪の降る公園で、彼らは凍えながら一目で恋に落ち、それからずっといつも一緒にいた。 「うん、私、誰のことも好きになれない性分なのかと思ってたの」 「でも一目でわかるんだな。心臓が音を立てたよ」 甘いクリームをすくい上げて、抱き合って眠れば、他に何もいらないと思った。 ところが、彼らは次の日曜日、あの出会った公園で別れようと決めた。
季節はいつしか冬になった。 その日曜日、彼が目覚めると彼女はもうベッドにはいなかった。彼は起きて歯を磨き、支度をして、家を出て公園に向かった。 その日の予報は雪なので、厚いコートを着ようとクローゼットを覗くと、なつかしいコートを見つけた。随分長い間どこかへ行ってしまっていたコートだ。 「昔はお気に入りでこればかり着ていたのにな」 袖を通すとなつかしい感覚がした。 これを着るだけでどんなことでも上手く乗りこなせる気がしたな。あの頃。 それから彼は、いつも通る川沿いの道を歩いた。風が冷たい。鴨たちが首をまるめて川の上に浮かんでいる。彼は橋に差し掛かると、小さな石を拾い上げて川に落とした。川を覗き込むと、川から上がってくる水の匂いに目を閉じた。 二人でよく川沿いでピクニックしたな。何が楽しかったのかいつも笑っていた、ただそこにいるだけで楽しかったんだ。 次にせっかくだから暖かい飲み物でも買っていこうと、コーヒーショップに寄った。そこも彼らがよく通ったお気に入りの店で、カウンターの上の大きな街の絵が好きだった。 彼は絵の中の街をしばらく見つめた後、大きなカップに入ったミルクティーとカフェオレを抱えて店を出た。 しばらくすると公園の入り口が見えた。 この公園は遠い昔どこかの貴族がずっと好きだった娘に求婚するために作った公園だという。なんともロマンティックな話だ。二人はその後、永遠に幸せに暮らしたのだろうか。
彼女は彼より先に来て、赤いコートを着てベンチに座っていた。 赤い色は彼女に一番よく似合う。 それから白いマフラーを巻いていた、白い色はその次によく似合う。 黒いブーツを履いていた。そのブーツは昔から彼女のお気に入りで、何度も修理しながら何年も履いている。彼は彼女が取り替えた紐の数を数えることができる。 彼女は彼を見つけると白い息を吐きながらにっこりと微笑んだ。 あの笑顔が彼は本当に好きだった。 彼女に暖かいミルクティーを渡すと、彼女はにっこりして、二人の好きだったクリームタルトをバックの中から取り出した。 二人はベンチに腰掛け、それを食べた。変わらず甘いカスタードクリームだった。 「いままでありがとう」彼女が言った。 「こちらこそありがとう」彼も言った。 「本当に楽しかった」彼女が言った。 「うん、毎日は夢のようだった」 「ねえ、私は変わったのかな?」彼女が背の高い木を見上げてポツリと言った。 「君はあの頃のままだよ」 「そっか」 「少し歩こうよ」 「うん」 彼らは人気のない公園を歩いた。 「雪降るかな」 「遅くに降るってラジオで言ってたよ」 「あの、ノイズが酷いラジオ?」 「そうそう。よく聞き取れないんだよね」 「買い換えなくちゃ」 「そうだね」 鳥たちは池の中でうずくまっている。 木々は葉をすっかり落とし、空は刻々と重くなる。 「ねえ、空が飛べたらいいのにね」彼女が空を見上げてポツリと言った。 「あるいは、川を泳いで海まで行く、海の底で暮らす」彼はその言葉に返した。 彼らは公園の奥まで歩き石像の前に立って、威厳あるその姿を見上げた。 「彼がこの公園を作ったんだよ。恋人に求婚するために」 「素敵。それでそのお相手は受けたのかしら?」 「さあ、きっと受けたと思うよ。そうでなかったら悲劇の公園だもの」 「あ、ここに書いてあるよ」 彼女が石像の裏に回って、そこに刻まれた文章を読んだ。
アレキサンドライト伯爵とその妻シャーロットは ここで婚約し、その後結婚し 末長く幸せに暮らしました。
「よかったね。めでたしめでたしだ」 彼女はそう言いながら石像の文字をなぞった。 「さて、行こうか。凍える前に」 「うん」 「じゃ、元気で」 「うん、元気で」 彼らは握手をすると軽くハグをして、そのまま別れ、彼は公園の右側の道を、彼女は左側の道を歩いた。
公園を半円描くその道の途中まで来た時、 彼がふと気配を感じて空を見上げると、雪が舞い降りてきた。 白い粉の雪が、啓示のようにゆっくりと空から落ちてくる。 世界を一夜にして変えてしまう、白い雪が。 その雪が彼の鼻先に落ちた時、彼はハッと気がついた。 なにを馬鹿なことをしているんだろう。 君のことがこんなに好きなのに。 ああ、僕はなにかとんでもない物語にいつの間にか入り込んでしまっていた。 僕たちはこんなことで終わる二人じゃない、一目で恋をして、そして末長く幸せに暮らす物語に戻らなくては。 いつから僕は間違った世界を歩いていたんだろう。 彼は慌てて来た道を走った。 ここで失ったら、もう彼女を永遠に失ってしまう。そう思って。
石像まで来ると、そこに赤いコートを着た彼女がいた。手を白い息であたためながら、じっと石像を見上げていた。 彼が走っていくと、彼女がゆっくりこっちを見て微笑んだ。その前にも白い雪が舞っていた。 「アレキサンドライト伯爵が私のお願い聞いてくれた。私にも同じ物語をくださいって、さっきお願いしたの」 「もう大丈夫」と彼は彼女を抱きしめた。
彼らは空から舞い落ちる雪と、永遠の愛を叶えた先人のおかげで危機を乗り越えました。今度は最後まで手をはなさいと決めて。 この雪はしばらく降り続き、白く積もるでしょう。