水玉物語#078パラディシュナ
きのこを枕に 眠る森
きのこ村は遠い昔、神様たちの楽園として作られた街、パラディシュナの片隅にありました。きのこの森とそれを守る村は小さいけれど、長い間、豊かに満たされて平和でした。 きのこのおうち、きのこのテーブル、きのこの椅子、きのこの帽子、お食事もお菓子にも、衣服にもなる。鏡のように姿を映してくれるきのこだってあるのです。
シュガーはきのこの森から生まれた子供です。きのこ村で生まれ、きのこ村で育ち、きのこ村から一度も出たことがありません。 夕暮れにきのこの森に銀色の胞子が舞っています。きのこたちが歌を歌いながら未来を夢見ているといいます。シュガーはその光の粒に包まれるたび、このままずっとここに居たいといつも願います けれどもこの頃、かすかな異変を感じるようになりました。はっきりとは分からないけれど、森のきのこたちに少し元気ないように思えるのです。シュガーは背の高いきのこに上り、そのかさの上に寝転んで耳を付けました。いつもなら聞こえる、優しい川の流れるような音が聞こえません。シュガーはその表面をやさしく撫でました。すると少しだけ遠くにその音が聞こえました。 「ねえ、最近きのこたちがおかしいの」 シュガーは村の大人たちに伝えたけれど、みんな忙しくて取り合ってくれません。 「おまえさんはきのこの森から生まれた子供だから、きのこのことがよく分かるんだね」 と、頭をなでるだけです。村の人は今ではめったに森には入らないのです。
シュガーはきのこの寝床から細い月を見つめ、胸を押さえました。かすかな予感は日増しに強くなっていきます。何か良くないことがはじまっているのです。一千年続くこの森に何か異変が起きているのです。小さな自分が消えていくように感じました。 シュガーは次の日、赤いキノコの長靴を履いて、森の奥の沼地へと向かいました。そこには千年前に一本のきのこからこの森を作り、守り続ける女神さまがいると伝えられています。でも、よほど特別な時にしか、けして足を踏み入れてはいけないと言われています。 シュガーは小さな小舟に乗って沼地を進み、森の一番奥に光る銀の小島に降り立ちました。女神さまはきのこにもたれて眠っていました。シュガーはゆっくりと近くまで歩いて、目の前に座りました。女神さまはゆっくり瞼を開けて、にっこり微笑みました。 「よく来ましたね。シュガー」
シュガーはその笑みを見ると、涙があとからあとからこぼれました。 「大丈夫です。シュガー、あなたの不安はわかっています」 女神さまはシュガーの髪を指で撫でました。 「この森は今変わろうとしています。私は十分長く生きました。そろそろ天に召されるでしょう」 「そうしたら、この森はどうなるの?」 「この森を支えてきたこの水も、この銀の苔も消えてしまうでしょう。そうしたら、今のきのこたちは枯れ、この森はなくなります」 シュガーは目をいっぱいに見開きました。それはシュガーが予感していた悪いことのそのまたもっと悪いことです。 「そしたら村はどうなるのですか?」 「そうですね。村はこれからきのこに頼らず生きていくしかありません。色々変えなくては生きていけないでしょう。それは不安ですか?シュガー」 シュガーはよく考えました。不安の原因はこの森や村や今の生活が消えてしまうからなのでしょうか? 「夕暮れや朝早くに森のきのこたちは歌を歌います。銀色の胞子が風に舞って、そこからいくらでも新しいきのこが生まれるの。そのきのこはなんにでも変わるの。私のような子供にだってなる。それがなくなってしまったら、と思うと、とても悲しくなります」 「いいえ。シュガーそれは違いますよ。歌っているのは世界です。きのこたちはその一部にすぎません。きのこたちの銀の胞子のように、緑の森も山も谷も荒れた大地だって、それぞれに何かを放っているのです。そしてそれはこの村のきのこのように、なんにでも変わるのです」 シュガーはそのことを想像しました。きのこ村しか知らないシュガーには広い世界が何かわからなかったけれど、胸の不安は小さくなりました。 「シュガー、私の森から生まれた子、あなたにこれを授けます」 女神さまは手のひらに載せた小さな光るきのこを渡しました。
「これは始まりのきのこです。この小さなきのこにかけた、私の願いがこの森と村を作りました。これからあなたはここを出て、広い世界を旅をして、いろんな人に出会い、いろんなことを知るのです。そして、いつかもう一度この地に戻り、このきのこからあなたの願う、森を、子供たちを、村を作りなさい。私はあなたにその力を授けます」 シュガーは手の中の小さなきのこにそっと耳を当てました。小さな水の流れる音がしました。 「さあ、これで私の役目は終わりました。少し眠ります。気を付けていくのです。心配は入りません。どこへ行ってもきのこたちがあなたを守ってくれます。おやすみなさい、私のシュガー」 女神さまはほほえんで、あくびをするとゆっくり目を閉じました。シュガーは深くお辞儀をして、また小船に乗って沼地を抜け、森を抜け、そのまま村を出ました。シュガーは自分が泣きたいのか、叫びたいのか、誰かに抱きしめてほしいのかわからないまま、村の入り口にある背の高いきのこのに上り、目の前に広がる世界を見ました。 シュガーは広い世界が一斉に歌うのを聞きました。銀の粉が舞い上がるのを見ました。小さなきのこが手の中で輝きました。シュガーが守りたいのはきっと、この希望たちです。 行かなくちゃ。