水玉物語#039パラディシュナ
その夢はどこまでも真っ白 空も大地も森も真っ白 でも一つだけ 私は黒い鳥籠を 抱いている
私は白いベッドで目を覚ます。白いワンピースを着ている。 白いカーテンを開けると、朝の白い光が差し込んでくる。 部屋を出るとパパとママにいつもの挨拶をして、白いカップで温かいお茶を飲む。 ミルクの入った紅茶はいつも美味しくて、私はうっとりする。 心は穏やかで、これから始まる今日一日はきっと優しく過ぎていく。 扉を開けて、白い上着を羽織った青年が入ってくる。パパとママと挨拶をして私の隣に座る。 「おはよう」と私にキスをする。この人は私のフィアンセ。 もう少ししたら、私たちは結婚する。そしてきっと、こんな毎日を送るの。 白くて、平穏な、絵に描かれたような暮らし。 紅茶に砂糖を入れすぎるのも、 昼間にぼんやり夢を見るのも 着ることのない赤いドレスをクローゼットに持っていることも。 きっと幸福すぎるから。
ある日の午後、私とフィアンセとテラスで午後のお茶を飲んでいた。 彼はいい人なのだけど、彼といるとぼんやりしてしまう。 私は風に揺れる小さな白い綿毛を目で追いながら話をした。 「いつも見る夢があるの。夢の中は何もかも白い、森も川も道も白いの。 私も同じように白い服を着ていて、いつもふわふわ空を飛んでいるの。 背中に白い翼があって、それでフワフワ飛んでいる。綿毛みたいに」 「まるで君らしい夢じゃないか。白は君によく似合うよ」 彼は砂糖を入れすぎる私の手からスプーンを取り上げ、微笑んで言った。 「でもその夢の中には一つだけ、白くないものがあるのよ。それは私が抱いている真っ黒な鳥かごのようなものなの 中が覆われていて見えないのだけど、中に何かいるみたいな音がするの」 カサカサと小さな鈴のような音と震えるような振動。 「どうして君がそれを抱いているんだろう」 私は首を傾けながら紅茶に口をつけた。彼が止めたのであまり甘くない紅茶。 「わからないの。でも私はそれを大事そうに抱えている。白い夢の中で、この世界で、一番大事なもののように」 「う〜ん。それは何か君の心の投影だろうか。心配事でもあるかい?」 彼は優しく私の手を握った。この人は人の心をよく知っているお仕事だから。 「いいえ、特に思い当たらないわ。私の心は今あなたが見ているように、穏やかで平和で希望的よ」 私は彼に心配かけないように微笑んで、小さなビスケットをかじった。
I had a dream. The dream is white, white everywhere.
Only one thing I hold in my arms is black. black birdcage.
夏が近づいたある日、私は庭の裏に続く森を散歩していると、今は使われていない小屋を見つけた。小屋は長い間に蔦に覆われて、その姿が隠されていた。 「あら、懐かしい。ここはむかし、よく遊んだ。まだあったなんてしらなかったわ」 小さい頃、ここをよく隠れ家にして遊んでいた。 いろいろなものを隠したり、裏の小川で釣りをしたり。 あれは、誰と遊んでいたのかしら? 私はいつも誰かと一緒にここで遊んでいたような気がするのだけど、なぜか思い出せない。 確か誰かといつもいつも一緒にいたような気がするの。 私は恐る恐る、その扉を開けた。長い時間と懐かしい匂いがした。一瞬で胸がドキドキした。 深くて冷たい澄んだ水の中に吸い込まれるようにその中に入った。 どうしよう。 私の胸は察していた。きっともうじき、私は何かを見つけてしまう。 それは私のこの胸を一瞬で満たしてしまう思い出の中に潜むもので、 この白い世界は崩壊してしまうもの。私にはわかる、ここにこれ以上進んではいけない。 でも同時に私は思う。わかっていたのよ、いつか私は見つけてしまうと。 見つけたかったのだと。 その時、私は部屋の隅に布に覆われて置かれたものに目が止めた。 私は吸い寄せられるように部屋の隅に向かって、その布をふわりと取った。 それは鳥かごだった。鳥かごだけれど、網ではなく、全面を覆われた黒い鉄のカゴだった。 扉がひとつ付いていて、小さな鍵がつけられていた。 私は無意識に胸元にかかっていた、ネックレスを引き出すと、小さな鍵をその鍵穴に差し込んだ。 それは私がずっと子供の頃からつけていた、小さな鍵のネックレス。 するとカチャリと音がして、扉が開いた。 私は急に我に返って怖くなって、そこに座り込んだ。 どうしよう、とんでもないことしてしまった気がする。 開けてはいけないものを開けてしまった気がする。 その扉はゆっくりと中から開き、中からこちらを除く赤い目が見えた。 私はそこで意識を失ってしまったけれど、その瞬間思い出した。 私が閉じ込めたんだわ、あの子を、この中に。そして鍵をかけてここに置き去りにしたの。
目を覚ますと、私は小屋の中のベッドに寝かされていて、部屋には火が灯っていた。 ゆっくり体を起こすと、簡素なキッチンにカラスの黒い身なりをした少年がいた。 「目が覚めたか。ひどいな、なん年ぶりのご対面なのに、気を失うなんて。 感動の再会が台無しだ」 「あなたは?」 「忘れたの?」 私は首を振った。 「カラス」 カラスと呼ばれた少年は私に暖かくて甘いお茶を手渡すと、ベッドサイドに腰掛けた。 「元気だった?」 優しくそう言われて、私は目を見開いたまま涙をこぼした。 「私を憎んでいないの?」 「なぜ?」 「あなたを閉じ込めたから」 「僕は暗闇が好きだから、なかなか居心地良かったよ」 「嘘ばっかりだわ。それに私今日まで忘れていたの」 「そのまま忘れていてくれても良かったんだけど」 その言葉は切なくて、私の涙はティーカップにいくつも落ちた。
私は思い出した。子供の頃私の世界は今とはまるでちがう、悲しみに満ちていた。 孤独で不安で望まざることと希望が混沌として、毎朝目を覚ますのが怖かった。 眠れない夜を過ごしていた私の元にカラスは現れた。 ベッドサイドに舞い降りて、私に怖い話ばかりして脅かしたけど、私にはそれは子守唄に聞こえた。 不思議なことにカラスが怖い話をするほどに、私にやってくる朝は怖い影をひそめることに気がついた。 だから私はカラスがやってくる夜を待つようになった。 でもあるとき、泣いている私にカラスは言ったの、 もしあらゆる黒い影から逃れたいなら僕を閉じ込めればいいと。 そうすれば、君の世界から影は消え、君を脅かすものはなくなる。 それで、私はあっさり自分の平穏のためにカラスを閉じ込めたんだろうか? あんなに好きだった、唯一私の世界で私を救ってくれたカラスを。 「よく思い出せないの」 「思い出せなくていいさ」 私は少年の姿に変身したカラスと向き合ってお茶を飲んだ。 変な感じ。 「さて、どうだった?闇のない世界は」 そう、聞かれて私はこれまでの日々を振り返った。 毎朝毎朝、白くて平穏で穏やかな朝がやってくる世界。 誰もが微笑んで、美しい言葉を話し、思いやり、希望がキラキラしている。 優しい愛が優しく髪を撫でる。明日も明後日もこの平穏が続くだろう世界。 「真っ白な鳥かごの中にいるみたいだったわ」 「君はあの頃より強くなったのかい?」 「わからないわ。だって私を脅かすもの何もないんだもの。自分が弱いのか強いのかわからない。 あの頃、何が私を傷つけて、何が私をあんなに絶望させていたのか、それさえもわからないの」 「もしかしたら、それこそ幻影だったかもしれない」 「幻影?」 「そう、ありもしない影に怯えていたということ」 そうなのかしら、と思いながらお茶に口をつけた。 「美味しい!なんて美味しいの」 そのお茶はこれまでどんなお茶より美味しくて、ちゃんと甘くて、 一口でこれまでの幸せのすべてを超える味がした。 「どうしてこんなに美味しいの?いつもお砂糖をどんなに入れても甘くなかったのよ」 驚いてそう告げると、カラスは首をすくめて、 「さあ、なぜだろう?」と笑った。 私は初めてカラスの笑う顔を見た。 その瞬間、また涙がこぼれた。 悲しみとも喜びとも違う、不思議な涙が。もしかしたら生命そのものがこぼれ出たような。嬉しくて愛しくて他に何もいらないというような。小さな結晶。 美味しい一杯のお茶とカラスの一瞬の笑顔だけで、 私のこれまでの白い現実は、束の間の都合の良いきれいな夢となってしまった。
「これからどうなるの?」 「さあ、僕にもわからない。君は鳥かごを開けてしまった。僕はまた君の世界に出てきてしまった」 私は思わずカラスの手を引いて、扉の外に出た。 そこには広い草原がある。 そこには広い空がある。 ここがもし、私の世界だというなら、本当は、私は自分の大切なものを守れるはず。 闇の力を恐れなくても、共存していけるはず。悲しみを抱きしめて美しいきらめきに変えられるはず。 白も黒もない、本当の世界にできるはず。カラスを閉じ込めなくても幸福な明日はくるはず。 「カラス、ごめんね。だいじょうぶ。私もう大丈夫だから。これからは一緒に暮らそう。この世界で」 少年はにっこりと笑うとカラスの姿に戻り、黒い翼を広げて大空を旋回した。