夢物語と新しい街

水玉物語#100水玉国
僕らは
いつもの
コーヒショップで
夢を描いた
 その頃、僕たちはみんないつものコーヒーショップで、ドーナツを食べながら薄いコーヒーを飲んで、とりとめのない話をしていた。あの頃はみんな、この場所に座って話しているだけで、空でも飛べるような気になっていた。

 僕は長い間、そのコーヒーショップの窓際の席に、一人でいつも来ている女の子が気になっていた。彼女はいつもノートに何か書いていたので、挨拶くらいはするけど、ちゃんと話したことはなかった。少し長い前髪も、いつも着ている赤い古着のワンピースもよく似合っていた。

 ついに、このコーヒーショップが来月には閉店することになり、僕は一度彼女とちゃんと話してみようと思ったんだ。
「ねえ、いつも何を書いているの?」
 彼女の手元には長いリストがあった。
「目を覚ます理由と覚ましたくない理由を書き出しているの」
 彼女は僕を見上げるとにっこり微笑んで、ペン先でノートの上を叩きながら言った。
「私は木の上で眠っているから」
彼女のリストについて尋ね、返ってきたその答えだ。
「木の上?」

「木はとても大きくて、木の下にはサーカスがあるのよ。それから木の周りにはサーカスの人たちが暮らす小さな町がぐるりとあるの」

「なるほど」
僕はその言葉通りに想像を広げた。僕らはいつもこんな風に、おかしな話に空想を広げて、分かり合っていた。なにしろ変な奴ばかりだったから。

「それから、その木とサーカスとサーカスの町は森に囲まれていて、それは象の背中に乗っているの」
「象?」
象の登場には少し驚いたけれど、想像の中に象を登場させた。
「そう、大きな青い象。象は私たちを乗せて世界をゆっくり歩いている」
「象はどこに向かって歩いているんだろう?」
「多分、どこか安住できる地を探しているの」

 彼女はそこまで話すと、僕の差し出したシナモンのたくさん付いたドーナツをかじった。赤い唇がゆっくりと動いた。

「なるほど。でもどうして君は目を覚まさないの?」

「そんなの、決まっているわ。起きれば悲しいこと、辛いことが待っているから、今だってほら、目を覚ましたくない理由の方が多いのよ。だからなるべく夢を見て眠っていたいと思っているの」と、彼女はリストを眺めると、首をすくめて言った。

  

「じゃ、僕は眠ったままの君と話をしているんだね」
「そうね、ある意味では」

 僕は冷めたコーヒーに口をつけるともう一度、想像した、大きな木の高いところに吊られたゆりかごで眠っている彼女や、それを乗せて歩く象のこと。なかなか眺めの良い光景ではあった。

「でもいつかは目を覚まさなくてはいけない」
「大人みたいな、嫌なことを言うのね」
 彼女は頬杖をついて窓の外を見た。

 彼女のそのうつろな遠い目は、なぜだかとても僕の心をつかんだ。

「あのさ、あと一週間あるじゃないか。その象のたどり着く場所を一緒に探すのはどうかな?」
「あなたが?」
「そうだよ。僕はこう見えても想像することに関してはちょっとしたもんなんだ。無駄にここで過ごしてきたわけじゃない。このコーヒーショップの最後に、君とサーカスの安住の地を探すなんて素敵じゃないか」

 彼女は僕をじっと見た。不思議な奥行きの榛色の目で。
「なぜそんなことをしてくれるの?よく知らない私のために」
僕は答えに困って、
「君が目を覚ますところを見てみたいんだ」と、窓の外を見た。

 もしかしたら、世界が一変するんじゃないかな。とは言わなかったけど。僕たちだって多かれ少なかれ同じようなことを思っていたんだ。いつか目を覚まさなくちゃいけないこと。でも目を覚ましたくないこと。

「青い象に乗って」 

 さて深くなる想像の中で、僕は青い象の頭の上に乗っていた。おかしな背の高い帽子をかぶり、手に小さなステッキを持っていた。見た所、象使いというところだ。そうか、僕はこの象を導いているんだ。後ろを見ると背中の上に、大きな木とサーカスと町と森が見えた。そして目の前を見ると、遥かなる世界が見えた。
「さて、どっちに行けば、彼女たちが目を覚ましたくなるような素敵な場所があるのか」見渡して途方にくれた、どっちを向いても荒れ果てていて、素敵な土地などないように思えたから。

 すると、背中の方からボタンのたくさん付いたコートを着た男がやってきて、
「ほら、差し入れだよ」とコーヒーとドーナツを手渡した。「ありがとう」僕は象の頭の上でコーヒーを飲み、ドーナツを食べた。
「ところで、目星はついたかい?もう長いこと歩き疲れて、象も町も疲弊してきた。そろそろどこかに根を下ろさないと、俺たちごと全滅しちまうよ。お前も大変だろうけど、もう時間がない」
「わかっているよ。もうすぐ、見つけるさ。あと少しだけ何か決め手が足りないんだ。それについて今考えていた。少しここを任せて、歩いてきてもいいかな?」

 僕は象の広い背中を伝って、森へと行った。森の中は僕のよく知っている森よりずっと静かで深く澄んでいた。小川も流れていたし、小さな花畑もあった。この森がサーカスや町を守っているのだろうと思った。そもそもどうして、この森も町も大きな木もサーカスもこんな風に象の背中に乗らなくてはいけないんだろう。
「それは、新しい土地を探すためよ。だってこの世界はどこも悲しみが染み込んでいるから。そこでは木も枯れてしまうと思ったの。この大きな木は物語のなる木なの。この木がなければサーカスもない、町もない、森が守るべきものもない」彼女は言った。
「確かにどこへ行っても悲しいことはあるだろうな。それは悲しいことが染み付いているからなのか、なるほど」僕は感心した。
「じゃ、この世界以外のところに根をおろすしかないわけだ。空の上はどうだろう?雲の上とか月とか」
「象は飛べないわ」
「象は飛べないのか」

 僕は何の解決策も見出せなくても、彼女とのやりとりが心地よかった。彼女の持つ独特の雰囲気は僕を安心させた。世界にはまだまだ見たこともないものがあって、僕たちはこの世界のありきたりの悲しみや苦しみを逃れることができると、物語っているように思えた。

「さて、ではどうしようか」
 象使いの僕は森を歩き少し高くなった丘に登ると、辺りを見渡しながら思った。どこかといっても、見渡す限りの景色の中にはおそらく、目的の場所はない。だけど、僕たちはどこかに根を下ろさなくてはならない。
「う〜ん、困った」でも僕は同時に思った。僕は無駄にここで空想とも現実ともつかない話に長い時間を費やしてきたわけじゃない。それに僕は方向の転換に関しては人一倍機転が効くんだ。勇敢だとも言える。う〜ん、考えろ。考えろ。今が僕の正念場、ここで良いアイデアの一つも出せなくては、僕の信じる僕じゃない。ひねり出せ、渾身の想像力で、この身が滅びてもいいから。

 すると、一つの考えが、流れ星が落ちるように僕の元に舞い降りた。

 僕は急いで立ち上がると、象の頭に向かって走った。象の細く柔らかい毛が草原のように風になびいていた。

「おーい、見張りをありがとう。もう大丈夫だ。僕は見つけたよ」
 僕はコートの男にお礼を言うと、象の頭に座り直した。

「それでははじめよう」
 彼女は「それであなたはどこに向かって象を歩かせたの?」
「どこにも」
「どこにも?」
「そう、僕は象をどこかに向かって歩かせたわけじゃない。そもそも象が君の眠る木を乗せて歩き始めた物語を書き換えたんだ」
「どういうこと?」

「つまり、はじまりにこう書き加えた。象は大きな木とサーカスとその町、それを守る森を背中に乗せると、ある街へ向かって歩き始めた」

「ある街って?」

「新しい街だよ。悲しみにも苦しみにも憎しみにも何も汚されていないまっさらな新しい土地だよ」

「そんなものどこにあるの?」

「僕が書き加えたんだ。そもそも象はその地を目指して歩いた。象の歩いた世界のどの街も栄えては滅び悲しみを繰り返したけれど、人々は、街は、願い続けたんだ。どこかにすべてから守られた新しい街が生まれることを。そこに新しい物語の木を植えて、夢を現実に変えるサーカスの幕をあける。そこから夢を世界中に送り出すんだ。これは君を眠りから起こすためだけじゃない、世界の見た夢なんだよ。眠り続けたいのは君だけじゃない、みんなそう思っている。でももう新しい世界はやってくる。新しい朝がやってくる。目を開けても大丈夫なんだよ。新しい心地よい夢をどれだけ見ても大丈夫なんだよ」

 彼女は僕の目をじっと見て、
「なぜ、あなたにそんなことができるの?」と、彼女は聞いた。

 僕は言葉を紡ぎながら、僕の言いようはまるでペテン師だなと思ったけれど、
「僕は夢の物語書きだから」と答えた。
 なぜなら、僕はあの象の上で星が落ちた時に決意したんだ。僕のすべてをかけて夢の物語を書いていこうと。それが僕にはできる、と。そういう、天から星が落ちてくるような瞬間は誰にでも一度くらいある、それを逃さないで受け取ったのだ。

 やがて彼女はにっこりと笑って、
「ありがとう、その街を私も見てみたいわ」と言って、リストを書いたノートを閉じた。僕は一度目伏せてから、再び僕を見た彼女の目の色が濃くなったことに気づいた。目を覚ます時がやってきたんだ。

 もうじき、新しい朝が来る。僕はそう確信した。

 ここは何一つ変わらない、コーヒーショップの一席だけれど、世界はもうすぐ生まれ変わる。

僕らは心を決めれば、
魔法使いになれる