水玉の森のメメとモリ

水玉物語#036 水玉国

水玉の蝶を追って
僕らは
どこへ行くのだろう
 
 ある男が追われて逃げていました。これまで男は調子よく生きていきたけれど、ついに運が尽きたようです。
今夜こそ、絶体絶命です。深い傷を追ったまま木の陰に身を潜めましたが、見つかるのは時間の問題です。
見つからなかったとしても、この傷ですから命が尽きるのはやはり時間の問題です。

男は思いました。もうこれで終わりだろう。これまで好き放題やってきて、ここまで焼きが回らなかったことが奇跡のようだと。
そもそも俺はなぜ、こんなことになったのだろうか。確か、何か探しているものがあったような気がするが。
思い出そうとしても、もう頭が朦朧として何も考えられなくなりました。

そのとき、木の根元に小さな蔦に覆われた入り口がぼやけた視界の中に見えました。
男はなんとか身を起こしてその入り口を覗き込みました。
もちろんその向こうに逃げられるとは思っていませんが、無性に心惹かれる入り口でした。

その向こうには暖かい日差しと色鮮やかな楽園の風景が見えました。そこに男を誘うように一匹の蝶が飛んでいました。

男は今度目を覚ますならあんな場所がいいと思いながら血を流し、眼を閉じました。
Living on the Tree
目を覚ますと、僕は背の高い木に囲まれた森にいた。
地面に落ちた光が森のいたるところに水玉模様を作り、色鮮やかに視界を埋める。

一匹のフクロウが木の上から僕をじっと見ていた。

「やあ、僕はいつの間にか眠っていたみたいだ」

と、ピンク色の水玉のフクロウは何も言わずハート形の顔をくるりと回して、
深みどり色の眼でじっと見つめた。

すると反対側の木の上から女の子が顔を出した。
「いつまでサボっているつもり?仕事はまだまだ山のようにあるのよ」
器用に木の枝を渡ると僕の目の前まできて、ペンキの入ったバケツを渡した。

「はい、君の分だよ」

女の子は木の枝に腰掛けて、裸足の足を揺らしながら、
「急がなくちゃ、永遠に終わらないよ」

僕はゆっくりと立ち上がって水玉模様の続く森を見渡した。
それは色彩豊かにどこまでもどこまでも続いている夢のようだ。

木々とその間を水玉模様をした、大きな牛や豚や狼がゆっくりとした歩調で歩いていた。

Consideration of the forest
 その森でいつからかわからない時のない時を過ごしていた。
朝も夜もなく、昨日も明日もないふわふわと続く世界。

僕とメメの仕事は色とりどりの不思議なペンキを使って、
木々や動物たちに水玉模様を描くこと。

「ほら、君にはピンクの水玉がよく似合う」
「ほら、毛を逆立てちゃダメ、歪になっちゃう」

なんのためかはわからない。けれど目の前のこの世界はとても美しく広がっていた。
色とりどりの水玉のコントラストや光に移ろう様がうっとりするほどに。
そこに住まう、すでに水玉をまとった動物たちが神々しく、ゆったりと無音の中を動いている。

僕たちはしばらく仕事をすると、お気に入りの木の枝に腰掛けて、
果実をもいで食べながら、世界を見渡し、メメはいつも勝手な考察をした。

「あれはきっと神様の一種なんだと思うな、これからこの世界の良きものに変わるの」
「たしかにそんな感じだ」

「本当はとても大きなものなの。でも地上に生まれる時は小さな動物になるの」
「どうしてだろう?」
「大きいと困るからよ。恐竜だって滅んじゃったでしょう?」

「水玉はなんのために描くのかな?」

「それはね、証なの。姿が変わっても、世界が変わっても、変わらない証なの」
「なるほど」

正しいとか、正しくないは、正解は僕らにはわからない。

「つまりここは世界の始まりだということかい?」
「そう、ここから新しい世界始まるの。世界はそうやってなんどもいくつも生まれているのよ」

「それは素敵だ」

わかるのは美しいかどうか、心地よいかどうかだけ。

Her sin
女は多分、臆病でした。自分の寂しさを埋めるために人を騙すことにはなんの罪の意識も持ちませんでした。
美しいものはなんでも欲しかった。美しいものに囲まれていれば、その美しさを自分のものにできると思っていました。

たくさんの美しいものに囲まれた部屋の真ん中に置かれたベッドの中で、女はぬいぐるみを抱いて眠っていました。
電話のベルが鳴り、女はうっすら目を開けると、また閉じて夢の中へ戻っていきました。深く深くベッドの中に潜り込見ました。

部屋には開けないままのプレゼントが山積みになっています。
着ることのないドレスが並んでいます。

女はこれまですべての美しいものを欲しがりました。次から次に欲しいと思いました。
欲しくなったら、どんな手を使っても手に入れました。騙すことも盗むこともなんとも思いませんでした。
でも物も心も言葉も手に入ると興味を失いました。

部屋にはそれらが散乱しています。女はそれらを見ていると、もっと別の世界に行きたいと思う、ここではないどこかへ。するととたん眠くなる、ベッドに深く潜り込みます。いつまでもいつまでも眠ることができるような浅くて深い眠りに落ちるのです。

女は思います。私はきっと数えきれない罪を犯しているから、死んだら罰を受けるだろう。もし今度生まれ変わるなら、もっと別の物を欲しがりたい。たとえば、永遠。たとえば、本物の愛。

閉じた目の暗闇にピンク色の蝶が飛んでいました。
the scenery is beautiful
それからも僕たちはその時間のない、朝も夜もない世界で、
二人と水玉模様の動物や植物たちと過ごした。


「つまりここが世界の始まりだとしら、僕たちは最初の男と女なのだろうか?」

「きっとそうだわ。モーリは選ばれたの」

「そうは思えない。僕は人を騙して、あらゆる物を盗んできたろくでなしだよ」

メメはピンク色のペンキを調色しながら、じっと僕をみて言った。

「私はこう思うな。モーリはこの世界の始まりのためにせっせと自分の手を汚して、危険を冒して水玉を集めていたのよ。それこそ自分の命さえ犠牲にして。誰だって悪い役はやりたくないもの」

ふわりとこの上なくやさしい風が吹いて僕の髪をゆらした。

「買いかぶりだよ。僕はそれほど崇高じゃない。たしかもっと些細なつまらない理由だったんだよ」

メメは値踏みするように目を細めて僕を見た。

「それを言うなら、私はね、あなたよりずっとひどいわ。親切にしてくる人たちを片っ端から騙してきたの。それにあちこちでたいした理由もなく傷つつけたわ」

メメを見ると、なぜかとても美しく輝いていた。

「では君も同じだろう。この世界の始まりのために悪い役を担って水玉を集めていた。自分の手を汚して」

メメは華奢な肩をすくめた。

「ありがとう。でもそんなはずはないのよ。私はちやほやされるのが好きで、いろんなものを与えられるのが好きで、相手からすべて奪うことで満足して。嫌いな奴は傷つけたかっただけだもの」

「う〜ん、それはまさしく悪人だ」
「そうそう」

でもこの世界は美しかった。

「やっぱり、これは永遠に続く罰なのかな」

二人は答えのない問いを飲み込みながら、腰掛けた木の根元から森の上に開けた空を見上げた。
光が入り込み、木々の水玉模様が煌めいていた。
僕らもきっと、その世界の一部なのだとしたら、罰も褒美も同じなのではないか。

「悲しいことを考えても仕方ないよな。明るい方を答えとしよう」

what they dreamed of
メメとモリが夢見たもの


「もし世界がはじまったら、僕らはどうなるのかな?」
「恋をして子供を作るの?」

「そして人間が増えて、誰かが身を犠牲にして水玉を集めて、世界がまた生まれるの」
「そうかも」

「それもいいけど、せっかくだからもう少し違う世界をはじめられないかな?」

「もう少し違う世界って?」

「例えば、永遠の愛が存在する世界」

モリが言うと二人は黙り込んだ。

「真実の愛が存在する世界」

メメはつぶやくと、高い木に登り始めた。モリは黙ったままメメの後を追った。

「毎日毎日、楽しくて世界がキラキラ見える世界」

「手の中の小さなものが愛しくてたまらない世界」

「明日が待ち遠しくて仕方ない世界」

「夢が後から後から湧いてきて叶い続ける世界」

「好きな人が笑うと嬉しくて」

「このままずっとこうしていたいと思う世界」

誰も傷つかなくて
不安もなくて
争いもなくて

「ねえ、だんだんつまらない世界になってきたよ。欲張りすぎだよ」

「バランスの問題か」

二人は高い木の上に張り出した枝に腰掛けて、見渡す限り続く水玉の世界を眺めた。
目の前を水玉模様の恐竜が通り過ぎた。

「でかい!」

ここがどこかはこの先にある世界がどんなところかわからないけど、
とにかくここは心地よい。この上なく。

何も欲しいものがない。
何の不満もない。
夢の中にいるみたいだ。

そして二人は夢を見る。
ここが世界の始まりなら。
あの時、暗い闇の中
どんな世界を夢みていたのか。